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ユニバーサル・デザイン


はじめに

  私が初めてユニバーサル・デザインという言葉を聞いたのは1989年でした。そして1990年にユニバーサル・デザインの提唱者であるロン・メイスを訪れ、その考えを聞かせて貰いました。しかし鈍感と言おうか、そのとき私はそれが何を意味しているのか、充分理解できていませんでした。もちろん理解していると思ってはいました。しかしそれは単なる思い込みだったようです。

  90年代に入ると日本でもバリアフリーという言葉が広まり、様々な実践も広まっていきました。そのおかげで最近は駅の階段で駅員さんに担がれることも少なくなりました。しかし担がれることは少なくなったものの、特別扱いは依然として残っています。駅員さんのお世話を受けて特別な機械で階段を上下しながら、周りの人からの物珍しげな視線を痛いほど感じつつ、私は、確かに階段を上下できるようにはなったけれど、周りの人と同じ環境を共有しているという感覚にはどうしてもなれませんでした。

  バリアフリーでは解決できないことがある、バリアフリーによってより一層の疎外感を味わう状況が起きうるという確信にも似た考えが頭をもたげ、そこで初めて、ロンが話してくれたユニバーサル・デザインの意味が実感を持って響いてきたのでした。

  90年代の中頃になるとアメリカからユニバーサル・デザインの情報を持ち帰る人が少しずつ現れてきました。その人たちから、アメリカの関係者はバリアフリーを否定的に捉えているようだという話を聞き、私の中にあったもやもやがすっと晴れるような気がしました。「そうだ、やはりそうなんだ」

  そのころアメリカでもユニバーサル・デザインの考えが急速に広まりつつありました。しかし広まるということは本質が変化する可能性を含んでいます。私は、ロンが本来持っていた考えが関係者にどのように理解されているのか知りたいと思うようになりました。

  90年代後半になって我が国におけるユニバーサル・デザインへの関心が急速に高まるにつれ、私はしだいに不安な気持ちになりはじめていました。日本におけるユニバーサル・デザインの理解がアメリカにおけるそれと違うように思えてきたからです。そして私自身のユニバーサル・デザインへの理解も怪しいもののように思えてきました。

  私はできるだけ多くの関係者にインタビューして、今アメリカでユニバーサル・デザインがどう理解されているのかを知ろうと思い、渡米することにしました。それは自分自身の理解を再確認する作業でもありました。

  本書は、このような経過から1998年に渡米して行った関係者へのインタビューをもとにして書かれています。しかし執筆には思いのほか時間がかかり、2000年に再渡米してこの2年間の変化を再確認する必要がありました。

  こうしてこのたび、3年かかってやっと上梓にこぎつけることができました。

  本書ではユニバーサル・デザインの考え方、それができてきた背景、ユニバーサル・デザインに関連する様々な言葉や考え方に力点を置いて書いています。実務の世界でいろいろな問題にぶち当たったとき、本書が原点に帰ることの一助になれば幸いです。

  なお、本書の中では英文を原典にしたものが沢山引用されていますが、それらの訳の責任は全て川内にあります。


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