町家点描

序 言


  町家と言っても、むずかしい定義はありません。お訪ねした歴史のある住宅をそれぞれの風土や社会的、民俗的な立場から選んで紹介したのは、皆さんの住生活の参考にしていただければと思ったからです。

  人口も少なかった太古でも家がある程度寄り合った集落があったことは、縄文時代の常識をくつがえした青森の三内丸山遺跡などにも見られます。そうした集落がやがて政治・経済・軍事的・社会的に発達するにつれ、平城京・平安京のような宮都をはじめ多くの都市になり、宮殿・城堡がつくられるとともに、町家もつくられるようになりました。そして江戸時代になると、町民による経済・文化の発達がさらに新しい町を生みだしていったのです。

  そして、日本の伝統を示す貴重な文化財としてのすぐれた建築は、現在では文化庁および地方官庁によって重要文化財・地方自治体指定文化財に指定され、その維持修理に努力が積み重ねられてきました。

  第二次大戦の空襲による日本の都市の損失は実に惜しまれますが、戦後は物質文化時代が世界的に広まり、ことに経済の進展による都市の再開発は地方にまで及びました。この世界的な民度の向上は戦前には考えられなかったことで大いに歓迎すべきことですが、高層宏大な土木建築の林立によって、最も弱い町家が失われがちであることは、文明の暴力とも言えるでしょう。それに続く近年の不景気風に貴重な町家を保持しかねて売却・更地化する傾向が増していることも一つの暴力として恐怖すら覚えます。また、相続税問題で残したくても住み続けたくても、愛着ある町家を壊さざるを得ないことが多くなっていることにも胸が痛みます。

  この傾向に対して文化財保護政策は放置に任せているわけではありませんが、この狭い列島に保存したい国宝・重文級の文化財の候補は山ほどあります。政府は明治三十年以来それらを文化財に指定して諸外国にまさる結果をあげてきました。当初は芸術的な面にのみ重きを置いて社寺を中心に保存してきましたが、徐々に生活・社会文化面に指定範囲を拡め、住居も文化財に指定しています。それでも、多くの歴史ある住居が未指定の状態です。また、伝統的建造物群保存地区制度による町並みの指定も五〇地区を数えるようになりましたが、古都保存法による規制が強化されている奈良・京都・鎌倉ですら十分な保存策がとられているとは言えません。

  そこで、それを補う法令として平成八年公布された登録文化財制度は、フランスやイギリスで早くから実施されていましたが、近年の保存界に一陣の清風を吹かしています。近代土木遺産を含め、年に五〇〇件ペースで登録保存することになりました。この制度は内部の改造には触れず、外形だけでも保存することを柱にして、さらに所有者の都合による外形のある程度の変更も認めるものです。またたとえば東京都文京区の「文京歴史的建物の活用を考える会」(愛称・たてもの応援団)のような、市民・研究者・有志による保存・再生・活用を考える民間団体もあちこちにできて、次々に壊されていく住宅を調査・保存する活動が盛んです。本書に載せた安田家は「たてもの応援団」のボランティア活動による文化財調査と保存を求める熱意が実り、(財)日本ナショナル・トラストに寄贈された好例です。

  京都では、市内中心部の上京・中京・下京・東山区にある戦前に建てられた木造住宅(約五万軒)の実態と保存状態等について、悉皆調査が行なわれました。

  これらの官民こぞっての古い民家や町並みの保存・整備への努力によって、地元での了解のみならず、積極的に整備・復原を実施する地域が全国的に拡まりつつあることは実に嬉しいことです。本書所掲の長野県須坂市も顕著ですが、今一つの好例が千葉県佐原市です。伝建地区に指定された区域の町家を年に二〇戸ずつ修復整備し、市の新しい発展に貢献しています。

  私は、戦後困難な生活の時代以来長年にわたって、中山道六十九次の宿場とその途上の調査を続けてきましたが、半世紀近い一昨年ようやくその研究をまとめて出版しました。有名な妻篭宿ばかりでなく、碓氷峠下の坂本宿、浅間三宿の中の追分宿、長久保新町、安曇の本山宿など、木曽では殆どの宿で町並みがかなり美しく残っています。美濃路では細久手宿、垂水宿、近江路では鳥居本宿など数々のすぐれた古い町家を見出しました。私の活動だけでもそれらの結果を生んでおり、その他官民諸氏の実に多くの調査活動が見られるのが現下の状況です。

  本書には特に選んでお訪ねして拝見し、調査のお許しを受けた、美しくてすぐれた町家を紹介しましたが、それ以外にも北は函館から南は沖縄まで数多くの町家を調べています。町家は現在の生活に完全には適応したものであるとは申せませんが、その佇まいに残されてきた伝統の良さがしみじみと表れています。伝統の素晴らしさを今に保持し、現代の生活に解け込ませておられることを、お訪ねするごとに羨ましくさえ思います。本書で紹介した第一級の町家に伝統の良さを味わい、それを現代に生かして下さい。

  これらの町家は皆さんに見ていただくために建てられたものではありません。町家ばかりでなく、農山漁村の民家もすべてその家の方々が生活のため、仕事のために建てられたものです。したがって、今後の生活のためにやむを得ず改築される町家・民家もあるでしょう。町も村も絶えず変化して生きていますが、文化的にも美的にも他にない価値の高い町家や民家はできるかぎり保存すべきです。しかし、その他は新たな活用や新しい時代への改築があってはじめて生き続けてゆきます。それでも、新しい日本の町村はできるかぎり日本の伝統をも重んじたものであってほしいと切望する次第です。

  平成十一年春
藤島亥治郎


学芸出版社
目次へ
学芸ホーム頁に戻る