はじめに

はじめに「「空間の深層を探る


 本書を書こうと考え始めたのはポストモダニズムが退潮していく1980年代後半である。書き始めたのは91年頃からであるが、たまたま私は出身県の県都秋田市の市制百周年記念体育館の指名コンペで当選し設計を開始したのと時を同じくする。好運にも当選し設計を任されはしたが、私はこの計画が完成する93年か94年頃にはこの建築形態は最先端のデザイン傾向からは大きく乖離しているに違いないという妙な自信というか確信があった。と言うのも私の方法は明らかに正統なるポストモダニズムであるからである。退潮がはっきりしているポストモダニズムの方法を続行する覚悟は当然あったわけであるが、私自身は現在でもポストモダニズムは終わっていないばかりか、21世紀前半こそ、その真価が問われる時代であると確信している。マイケル・グレイブスのような表層ポストモダニズムが終わっただけで、思想としてのそれはこれからに違いない。しかも私はこの思想・建築の方法を創造した張本人であると自負して止まない。温和、謙虚を美徳とする我が国の精神風土にはなじまないではあろうし、わざわざ人々の憎悪をかきたてるようでもあるが、なぜか私にはそう言わなければおさまらない欝屈がある。1920年代のロシア・アヴァンギャルドの挫折を悼むとも言うべきデコンストラクティヴィズムはまだしも、明らかに一九五〇年代の焼き直し洗練化にすぎないネオ・モダニズムの世界的盛行は唾棄すべき流行現象としか私の眼には映じない。要するにこれは停滞を美化する集団自己欺瞞に過ぎないのではないか。しかも地球を覆う恐るべき退廃と無気力のである。私はポストモダニズムの建築理論書を書くべきであったが、その努力をおろそかにしてしまった。しかし退潮してしまったからこそ、今書くべきではないのかとも考えたのである。こうして約五年の歳月を費やし一応脱稿したのは1955年の晩秋のことであった。ただし、実際に一心不乱に書いた時期は93年からである。

 脱稿してみると400字詰原稿用紙1000枚を越す分量になっていた。これを出版するのは至難の技である。結局、前後二分できる構成であったこともあり、二分割し前半は『記号としての建築』として今年6月に昭和堂から上梓した。本書『空間の深層「「物語としての建築』はその後半部分であり、『記号としての建築』が原論とすれば、こちらは応用編である。それでは原論はどのような内容であり本書はどのような意味で応用なのか。
 T章「記号としての建築」はまさに原論である前著の概要であり、これを欠いてはU章からの展開が不可能であった。建築について書いた本が多数あるが、特に注目すべきは詩人や小説家、旅行者などの文章である。詩人栗田勇のガウディに関する記述は建築が眼前に展開されているような具体的イメージを伝えるが、それはどうして可能であったのか。また建築専門家の建築の解説書であっても一般読者向けと専門家向けでは記述のスタイルが違う。栗田の文は動詞が多く使用され、専門家による一般向け解説書は形容詞、専門家用は名詞が目立って多く使用されている。ここに建築と言語の相似性を解く鍵があるに違いない。また日本の小説家の作品は感覚的であるがヨーロッパの作家のものは構築的・建築的であると司馬遼太郎が指摘してもいたが、この司馬の指摘は重要である。一つ一つの言語(言語学でいうラング)は建築材料のごときものであり、構成(プロット)は建築の構造に近いということであろう。ともあれ、建築は正確・詳細に書かれ得るのであるが、これは建築も言語同様精密な記号体系を有しているということを意味する。しかし私が1971年2月に私家版として出した『現代建築様式論』まで、世界でこのことに気づいた者は一人も存在していなかった。ことによったら気づいていた人はいたとしても、それを真正面から論じたのは私が最初である。しかも圧倒的に早いのではないか。私も30歳を少し越えたばかりであった。T章では「様式形成のメカニズム」としてそれを簡単に紹介している。  ほかにT章では建築における能記および所記もとりあげている。言語(ラング)にあたる建築形態の細部(装飾も含む)、また空間構成上の部位(床、天井、窓など)にそれぞれ意味があり、それが所記(シニフェ)であり、建築家が一つ一つ工夫して創出した細部や部位は能記(シニフィアン)ということになる。現代建築の主要テーマである透明性などは、フランスの心理分析家、哲学者のジャック・ラカンの箴言「シニフェなきシニフィアン」に依拠しているらしいが、肝心の所記(シニフェ)も能記(シニフィアン)も建築記号論の体系なしで建築に直接翻案されているためか、まるでデタラメな理解であり、結局はガラス貼りで内部が外部から透かし見えることが透明性であると噴飯物の結末となる。建築の透明性を提唱したコウリン・ローも草葉の陰で泣いているのではないか。

 U章「世界の切り分け(空間の差異化)」以降が本論すなわち応用編ということになる。

 子供がコトバを覚え自在に話すまでは、彼を取り巻く環境は茫漠として一つ一つの物事にも明確な境界線がなく、まさに混沌の中にあるに違いない。しかしいったん話すことが出来るようになると、彼は周囲の事物を注意深く眺め一つ一つの事象を識別し判断するようになる。言語によって世界を切り分けるのである。人類が建築を構築し始めて何が変ったであろうか。住居はシェルターであるというが、住居を作る技術を開発していなかった頃の人類は洞窟を住居としていたから、洞窟のないところには住めもせず、生活の場は洞窟の有無によって定められたに違いない。したがって果物がとれ食用の小動物が豊富な野原や森でも近辺に洞窟がない限り無人の場所として顧みられなかったのではあるまいか。ところがシェルターとして充分な堅牢さを有する住居の構築が可能となって以降は、食糧の豊富な場所を探して住居を作ってそこに住みついたであろう。そうなると世界が違った様相を帯びてくる。洞窟の有無を第一とした居住地の選択基準が、そこでとれる食糧の多寡に変る。ここに建築による世界の切り分けがはじまる。建築を自在に構築できる人々にとっては山岳や原野、そのほか多種多様な地形に適合する建築様式を創出するのはそれほど困難なことではない。世界の多事象は小説家のためにあるように、世界の多様相空間は建築家のために存在するかとすら思われることがある。広大なサハラ砂漠にピラミッドを創出した古代エジプトの建築家にとって砂漠すら彼に適度な刺激を与えてくれる恵みの「世界」であった。人々は都市を造営し何代もそこに住み着くようになると、人工空間である都市すら建築家にとっての「世界」となる。ルネッサンスの名建築、フィレンチェの大聖堂の巨大キューポラはブレネレスキのそのような意識によって考案されたとも考えられる。地形や都市環境の特徴を活かした建築こそ名作であるというのは言うまでもないが、これを人々の言語活動と対比して解読することこそ、建築家の世界の切り分け、すなわち空間の差異化操作を読み解くことなのである。

 V章「統合の単位と体系」は本書の中核をなす。分量も圧倒的に多い。

 世界を切り分けるとは、単に環境を言語や建築によって見えている物や事象に境界線を引き無数の部分に分割することでもある。しかし世界を無数に分割したからといって物語や建築を創作できることにはならない。物語作者も建築家も創作技法を身につけていればこそ作品を産み出すのである。V章は主としてその技法の記述である。したがって「統合の単位と体系」は必ずしも内容の全貌を表現しているとは言い難い。物語には無数の場面が折り重なっていて、しかもその各場面を説明するのに、また無数のセンテンスが折り重なり、センテンスには相当数の語、語には相当数の音が折り重なる。したがって物語はまるで建築のようでもある。一つ一つの石が様々に積まれ、多様な部分、壁や柱、さらには壁に大きな丸窓があけられてバラ窓になったりしながら、大聖堂はつくられる。一つの石が一つの言語なのか、それとも一つの音なのか、そんな原子論めいたことを技法で問題とするわけではない。その積み方ではなく積んでできあがる細部の形や部位の有り様こそ技法なのである。物語も文章技法が問題であるのではなく登場人物の特徴やその特徴が生み出す事件の必然的装いの技法が重要なのである。当然、構成すなわちプロットはもっとも重要には違いあるまいが、これに立ち入ると技法から逸脱してしまいかねない。建築も建築家による構成上のクセなどには触れるべきではないのと同様である。建築ならばロマネスクやゴシックといった様式を形成している構成上の差異が重要である。フライングバットレスを考案して聖堂の重要な壁を軽快にし外光をふんだんに取り入れて「天上のエルサレム」を現出したゴシックの建築家達の技法上の発明によってロマネスクとの差異を解説するならば、いたって事は容易であろう。近代建築、たとえばコルビュジエも技法に着目すれば彼の構成の秘密にたどりつくことも可能というわけである。しかし問題は技法の内的構造である。これを解き明かすのが「物語の構造と建築の単位」である。

 物語は言語を使用するから都市や自然、人物などを描写するにもいたって不便であるが、映画ならば外形描写は簡単である。しかし人物の内面や都市、さらには風景の歴史を語るには不便である。一〇〇万語を費やしても「象」の説明ができないのに、映像ならば一目で見るものに了解させ得る。しかも絵と違って動くから、さらに具体性に富む。しかし映画で人間の内面や都市、風景の歴史を表現するには並大抵の工夫では充分でない。ただし場面と場面を繋ぐモンタージュの方法によってこの不利を克服してきたのが映画表現の歴史である。即ち映画は場面の芸術であると言って過言はないであろう。ところが建築も実は場面の芸術であった。学校における教室、廊下、体育館といった異相の場面(空間)の連携を想起してもらえれば直ちにわかるに違いない。映画は物語である脚本をもとにして作られるから物語にも近ければ建築にも近い。中間領域と言ってもいいかもしれない。特に人物、都市、風景の内面を表現する技法と建築に応用できるなら、建築にまったく新しい表現の可能性を切り開くことになるに違いない。

 V章は物語と映画に着目して建築表現の新しい領域開拓の可能性を示唆したつもりである。とはいえ映画は物語を参照にするだけではなく、演劇をも参照しながら人物や事象の内部を表現し得ているのは映画にも登場人物のコトバやナレーションによるコトバが使用されるからでもある。ところが建築には一切コトバは介入しない。したがって本当に内面表現は可能であろうか。私はそれも可能であると確信している。精神分析学者ユングがその可能性を示唆しているからである。

 W章「記号深化のメカニズム」はまさにそのための記述である。ユングは人々の夢に立ち表われる人魚とか龍といった得も言われぬイメージは、人類が太古から受け継いだ原イメージ、すなわち元型であると言う。ユングの所説はフロイトとは違って明快さに欠け、かつ詩的でもあるから難解であると敬遠されることが多い。しかしこれは慣れてみると少しも難解なことはなく、しかも古今東西の絵画から元型を掘り出してもいるから、きわめて空間的であり、具体的なイメージに満ちてもいる。洞窟などは母の子宮を象徴するきわめて元型的空間であることは誰の眼にも明らかであろう。洞窟や森、その他の自然の空間から触発されて建築空間が形成されていることが多い。たとえそれが建築家の無意識の所産であってもである。したがって古今東西の建築を克明に追ってみるといくつかの元型を抽出することができる。と言うことは建築にあっても内面表現が可能であり、かつ現代に至るまで建築家は内面表出を不断におこなってきたということでもある。ただしこのことを構造的に解明しなければならない。「典型としての四つの型」はその解明法を示している。この四つの型を組み合わせるとほとんど無限といっていい内面表現が可能となる。斯して建築を物語を書くように設計できるようになる。もちろん私はそのようにして建築をつくってきた。これが正統ポストモダニズムの方法であり、また思想をも形成する原動力であった。ポストモダニズムとは、端的に言うならモダニズムの一側面であるポピュラリズムから出発してはいるが、それを徹底的に内面化することなのである。即ち集合の無意識が鍵となる概念である。

 さてこれで私の作業が完全に終わったのではない。実は文明の深層としての建築について書かなければこの論は完結しない。それについてはいまだ着手してはいないが構想はできあがっている。いずれ世に問いたい。

  1998年7月    渡辺豊和



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