日本の建築意匠


はじめに

 「伝統」に意識的かつ 継承的(サクセッシブ)なデザイン表現について、戦後日本の建築界を概観すると、1950年代に「伝統論争」で華々しい議論が展開され、多くの意欲作が生み出された一方で、その後の経済成長期以降、(一部の作家を除くと)同様の試みは影を潜めたように感じられます。他方、国際化が急激に進行した近年では、一部に伝統回帰の傾向が認められ、一般社会のみならず建築界でも「日本的なもの≒日本的・遺伝的アイデンティティと想定されるもの」を再考する状況が醸成されつつあるように思われます。

 本書はそうした現代的状況に鑑みて、一般的な日本建築史の教科書とは異なり、現在の建築設計や都市景観デザインに直結しうる、日本の建築的伝統に関する今日的な視点を提供することを目的として編まれました。日本建築の通史書に叙述された様式的細部の変遷をただ闇雲に記憶したとしても、現実的な設計課題に益する機会は少ないのが実情であり、日本の伝統的建築の意匠を、現代の建築に、表層的にではなく本質的に取り入れるためには、むしろ日本の建築史を包括的に理解することに加え、現代的な視点に立って、さまざまな歴史的事象をデザイナー自身が再解釈する必要があるのではないか。こうした問題意識に立っています。

 そこで本書では近代の建築家による伝統理解と表現手法、フレームとフォルム、構成要素(モチーフ)とマテリアルの3部構成に基づき、建築・都市・空間感覚などを様々な切り口で再解釈し、学生諸氏・現在活躍している若い設計者に向けてわかりやすく解説することを試みました。一方、「日本の建築意匠」とは何か、そして現在それはどうあるべきかという問題に対する見解を安易に示すことは控えています。むしろそれは、創作・表現活動に関わる事象である以上、個々の設計者たちが取り組むべき重要課題の一つと考えるからです。 深く鋭い建築史的洞察を基盤に日本の建築的伝統に対する本質的見解を世に問うた先達の著作として、伊藤ていじ『日本デザイン論』(1966)、磯崎新『見立ての手法』(1990)、神代雄一郎『間(ま)・日本建築の意匠』(1999)などがありますので、本書とともに活用し、これからの有効な現代的提案に繋げていただきたいと思います。

 紙面構成については、設計資料としても使っていただきたいという企図から図版を多く掲載し、読みやすさ重視という観点から、見開きで各項目の内容を完結させる体裁としました。そのため分量面での制約が大きく、盛り込むべき事柄を一気に凝縮した結果、内容的には濃密なものになった反面、叙述不足からわかりづらい箇所もあるかもしれません。本書を通読してさらに理解を深めたいとなれば、本文末尾の註に掲げた資料などによって補完していただければと思います。加えて 各項目 は、各部の編者の統括のもと、複数の執筆者の分担によって執筆さトピックれています。いうまでもなく叙述の方針や文体はできるかぎり統一を図りましたが、具体的内容や細部については執筆者の個性によるところも少なくありません。本書を通読されて不統一の謗りを免れないとすれば、ひとえに編者の力量不足の故であり、ご容赦いただきたいと存じます。

 日本の建築文化に興味はあるものの、日々取り組んでいる設計活動にそれをどのように応用すればいいのかわからない、という設計者は意外と多いのではないでしょうか。本書がそういった方々に手がかりを提供することができたとしたら、そしてそのことがひいては現代日本の建築文化の向上に繋がるとしたら、それに勝る喜びはありません。

2016年12月 編者一同