建築・設計・製図
住吉の長屋・屋久島の家・東大阪の家に学ぶ

はじめに



 製図の教科書を、いつか手掛けたいと考えていました。私は40年ほど前に、安藤忠雄建築研究所のスタッフとして〈住吉の長屋〉の担当をしておりました。矩計図を描きながら、屋上のシート防水の立上がりの納まりと逆梁の寸法、1階、2階の中庭側スチールサッシュの納まりなど検討していた時、現場から帰ってきた安藤さんとこのような会話をしました。

 安藤さん 「実施設計図はできたか」

 貴志   「今、詳細図を描いています」

 安藤さん 「責任の持てんことは、いいかげんに描くな。やめとけ」

 私は、ディテール集などで調べながら描いているつもりでしたが、素材、工法、意匠的な意図など、全てを考え、また、全てを知って描いているとはいえなかったのです。当時は安藤さんの指摘を正確に理解できていませんでしたが、設計という仕事に関わるほど、1枚の図面のもっている意味の大きさに気づきました。設計者の描いた1枚の図面は、50倍、100倍になって、施工会社によって実際につくられるのです。安藤さんはその1枚の図面を、実物の建築と等価に見ていたに違いありません。それ以来、機会があれば建築を学ぶ学生が初めて描く建築図面の意味、重要さ、面白さに少しでも触れてもらえる本を手掛けたい、との想いがあり、本書の執筆に至りました。

 本書では以下の4つの基準によって、掲載する3つの住宅作品を選定しました。

 1. 著名な建築家が設計した名作住宅であること

 2. 外部空間を取り込んだシンプルな箱型の住宅であること

 3. 設計当時の手描きの図面が掲載可能なこと

 4. 木造、鉄骨造、鉄筋コンクリート造(RC造)といった構造種別が明快であること

 まず、?に挙げた建築家の住宅は、皆さんがこれまで慣れ親しんできたハウスメーカーなどの手掛ける量産型の住宅とは異なり、土地固有の環境や家主の想いが丁寧に読み解かれています。住むことの本質を捉えなおし、細部まで設計者の思想や流儀が徹底して反映された住宅から、新たな価値や魅力を設計する姿勢を学んでほしいと考えます。?には、ミース・ファン・デル・ローエの著名な格言「Less is More(より少ないことはより豊かなことである)」にあるように、複雑な空間構成でなく、極限まで削ぎ落とされた単純明快な空間構成にも多様性や豊かさを生み出せることを知ってほしい、という思いを込めています。3つの住宅はどれも単純な箱型の建築でありながら、外部空間を取り込むことで豊かで美しい空間が実現していることがわかるでしょう。?に示す手描き図面の参照も重要です。本書に掲載した折図から、図や文字の細部まで配慮の行き届いたオリジナルの図面にみられる緊張感や、建築家が図面に込めた想いを肌で感じ取ってほしいと思います。そして最後に?の構造種別です。本書で取り上げるのは小規模建築の基本構造である木造、鉄骨造、鉄筋コンクリート造(RC造)に限定しています。構造といえば、他にも、組積造や鉄骨鉄筋コンクリート造(SRC造)やプレキャストコンクリート造、さらにそれらが組み合わさった混構造などさまざま挙げらますが、まずは3種の基本構造の違いを単純な空間構成で明快に示し、それぞれの構造および構法への理解を深めてほしいと考えました。

 上記の基準によって、木造は堀部安嗣さんの〈屋久島の家〉、鉄骨造は岸和郎さんの〈東大阪の家〉、鉄筋コンクリート造は安藤忠雄さんの〈住吉の長屋〉を選びました。

 これから皆さんが学ぶ「図面の模写(トレース)」は、単に図面を描き写すだけの作業ではありません。三角スケールで各寸法を確認し、かつ、線の太さや線種の意味を考えながら線を描き、建築家が図面に込めた想いを読み解く作業です。時間をかけてじっくりと取り組むことで、建築への理解がより深まっていくことでしょう。

>貴志雅樹