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建物のリサイクル

躯体再利用・新旧併置によるリファイン建築



はじめに



 1978年、初めてのヨーロッパの旅、この旅の途中、北イタリア、ヴェローナのカステルベッキオ美術館でぼくが目にしたものは、中世ゴシックの歴史的な城の内部空間に現代的な手法を導入しながらも、エレガントな空間につくりかえられた建築だった。驚きとともに建築とは、時間を越えてつくることができるのだということを学んだ。
 この旅を終えてから、建築を見る目が少しずつ変化していることが自分のなかで感じられた。日本の旧い建築を見ていくときにも、こんな壁を付けてみたらまったく違った建築になるのではないか、いや、床だけでもビシッとデザインして、また天井にトップライトを付ければなどと、自分ならこうする、ああしたいと考え始めていた。しかし、イメージは先行するが、実際の仕事はそのイメージの多さに比べれば、限りなく無きに等しい時代であった。
 そんなことを思っていたとき、鶴見町から海軍が残した施設があるが何かうまく使えないだろうか、という話があり、見せていただいた、そのとき、これだと思った。あれをやろう、あのイメージの建築をつくりたい、と。
 外部空間はさわらず、また必要以上のことはせずに、内部空間だけをやろう、そのほうがインパクトがある。これが、リファイン建築の始まりであった。
 さて、日本も20世紀のアメリカ型大量生産、大量消費の時代から抜け出さなければならなくなった。大量生産、大量消費時代のツケは地球全体の歪みとなって現れ始めている。しかし、別の見方をすれば、いまは人間的な真の豊かな時代を迎えるための生みの苦しみの時かもしれない。すでにヨーロッパでは、効率だけを優先する価値観を乗り越える試みが始まっている。ドイツでは環境に関する取り組みは早くからなされ、自動車をはじめ工業製品のリサイクルはあたりまえのこととして行なわれている。イタリアでは70年代からすでに歴史的な建造物を壊してはつくる時代からの脱却が図られてきた。20世紀とは、世界中の歴史的な町並みや伝統文化にとってはまさに受難の時代であった。

 ところで、建築の解体は都市の魅力や歴史性を破壊するだけでなく、現代では環境面においても大きな問題となっている。産業廃棄物の20%は建築廃材で、これをどう処理するか早急に手を打つ必要性が生じている。つまり建て替えによって新しい建築が一つ出来上がるごとに、大量の産業廃棄物が生まれているわけであるが、それを解決する方法はまだ見つかっていない。
 日本ではリファイン建築に対する認識がなかなか生まれてこなかった原因の一つに、日本における建築の寿命に対する認識がある。木造建第の寿命は約35年と判断されている。つまり一人の人間が一代の財力で建築し、一代しかもたない寿命の建築をつくる。そしてそれを解体し、再び新しい建築をつくるということになる。木造の建築の寿命は、木材の建築腐食が主たる原因であるが、これも手入れ次第では、まだまだ延ばすことができる。コンクリート造や鉄骨造の場合は、構造計画の上では、百年を目標として計画されているのである。

 ヨーロッパでは石の文化ということもあるが、繰り返しリフォームして使うことが主流である。イギリスの田舎でよく目にするのだが、旧い農家(一見したところかなりボロに見える)をわざわざ買い求めて、日本でいえば日曜大工でコツコツとかなりの時間(何年という単位で)を費やしてつくり直す。それがステータスとなっている。まず石の文化であるということもあるが、繰り返しリフォームして使うことが主流である。
 日本はバブルの時代、めまぐるしいまでに都市の変化があった。その変化を象徴するような建築の短寿命化の異常さに、建築に携わるものは当然のことながら、多くの人びとが気づいていたはずである。「こんなに簡単に壊していいのだろうか。こんなに巨大な建築をつくって大丈夫なのか、日本はもうどうにもならなくなっているのではないか」。そう思いながらも建物はつぎつぎと壊され、そして巨大化した建築がつくられてきた。しかし、そろそろ日本も、これからの建築と都市のあり方が模索されても良い時期にきているのではなかろうか。

 思うに、私がリファイン建築と名づける建物のリサイクルは高くつくと考えている方が多いのではないだろうか。たとえば、民家などの移築や修復はおそらく新築と同じほどの費用がかかるであろう。しかし、リファイン建築の場合、大規模なビルや建物であれば基礎工事と建築躯体工事の費用がなくて済むし、解体して新築し直すのに比べて解体費用は1/4から1/5で済む。新築と比べてかかるものは構造の補強費用だが、これは新築の場合もそれだけの構造耐力をもたせるための費用はかけなければならない。しんどいのは、建築工事に携わる側の者、設計者も工事関係者も新築に比べて大きなエネルギーを注がなければならないということだ。しかしそれは、本来人間のもっている働くことの喜びに通じるしんどさであるはずだ。リファイン建築は、設計者も工事関係者も互いに持っている知恵を出し合い、協力的でなければ成功しない。つまり、リファイン建築を通して人間関係が濃厚になり、お互いに認め合い、信頼し合う喜びが生まれるのだ。

 海外旅行で異文化に触れ、自分の住んでいる町がヨーロッパの町のようだったらと思う人はたくさんいるだろう。しかしそれを旅の思い出だけにとどめてはいないだろうか。それを自分の住む町に持ち込もうとは思わないのだろうか。日本文化の見直し作業が始まっているが、建築だけはどうも別らしい。
 振り返ってみれば、リファイン建築について、私なりにかなりのデータが集まり、手法の蓄積ができた。一方で、解体されていく多くの建築を見ながら、日本の都市の歴史の重層性のなさを思い知った。そんな日本の都市の歴史に自信と誇りをよみがえらせるために、いま考えていることをまとめてみようと思い立ったのである。
著者  



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