テキスト建築意匠


はじめに

 
 一般に「意匠」(design)という言葉には,「工夫すること,趣向を凝らすこと=idea,device」という意味と,「美術・工芸・工業製品などの形・色・模様・配置などについての独自の工夫,デザイン=design」という意味の2つがあります.
  近代建築以前,19C頃の「建築意匠」は,「構造」と対比され,構造的解決を主とする建物本体に「意匠を施す=外観の表現を与えること」,つまり美的・装飾的な操作を指すものと捉えられていました.ローマ期の建築家・ウィトルウィウスは建築の立脚点を「用・強・美」の3つに整理しましたが,このうち「美」を扱う学問としての建築美学は18C後半の哲学者バウムガルテンの創始以来「建築美の本質を追究する学問」として現在まで継続されてきています.こうした背景から,現代においても建築意匠=建築美学の図式で捉える立場が存在するほか,わが国では建築の形態やその構成理論に関する研究が「建築意匠学」の名のもとに定義されています.

  本書は,建築家を志す学生や若手設計者を対象とし,日々交わす議論や設計を巡る思考の助けとなるような基礎的知識,あるいは最低限知っておくべき理論的フレームを「意匠design」という言葉の上に(上記とは別の立場から)広く捉えつつ,これらの知見をわかりやすく解説した入門書としてまとめられたものです.と同時に,大学学部レベルの「建築デザイン」「建築設計論」「建築空間論」,大学院レベルの「建築設計特論」等といった意匠系・設計系の教材・講義テキストとして使えるよう,広範なテーマについてできるだけ平易に知見の紹介が試みられています.

  本書は,(1)近代建築以降の諸理論,(2)建築の「表記」方法と設計者の意図,(3)形態(かたちや構成,全体と部分の論理),(4)建築構成要素の役割,(5)建築の原点に関する論考,(6)空間と光のイメージの変遷,(7)近・現代の都市の諸理論,(8)力の流れ,(9)デザイン領域の拡大という9つのテーマについて,13の章から構成されています.巻末には各章15題ずつ総計約200問の一問一答を例示しました.本の使い方として,本文13章と問題集+テストを併せ,15回に分けて,講義をすることが可能です.大学の講義では,最終的な到達目標を,「巻末の問題集を解くことができるようになること」と設定することもできますし,「解答を作成するために本文を読んでいく」という手順をとることもできるでしょう.また,各問題文が各章のエッセンス,つまり要約版となっているので,この文章だけを再読することで,本文の中身を概読できるようになっています.

  テーマの構成と紙幅の都合上,従来の意匠系の本に比して,美学者・美術史家・建築家などの美論,シンメトリー(対称・均整)やコントラスト(対比)などといった「美の形式原理」,あるいは「色彩」や「装飾」については詳細に解説するにはいたりませんでした.こうした内容については,井上充夫『建築美論の歩み』(鹿島出版会,1991)や上松祐二『建築空間論 その美学的考察』(早稲田大学出版部,1997)そして小林盛太『建築美を科学する』(彰国社,1991)などの優れた入門書・解説書が存在しますので参考にして頂きたいと思います.

  本書は,40歳前後の建築意匠関係者があつまり,全体構成から各章の内容にいたるまで議論を重ねつくりあげたものです.この議論は,建築意匠のテキストという広範な主題を扱わねばならない作業であったため,筆者たちの勉強会といった様相も呈していました.思わぬ錯誤などがありましたらご教授いただければ幸いです.

  本書を手にした方々が,建築意匠への興味を持っていただける,建築意匠に関する知識をえていただける,そしてこれから生み出される建築や都市の空間がよりよいものになる,そうした一助になればと思っています.