文京区の近代建築


研究の目的・方法と文京区の概要

鈴木伸治



研究の目的と背景

 今回お話させていただくのは、文京区の近代建築の残存状況とその建て替えに関しての調査の報告です。文京区は近代建築がたくさん残っていますが、そういう近代建築がどのくらいのペースで建て替わっているのか、あるいは今後どうなるのかを考えようという研究です。
図1 『近代建築総覧』での建物の分布状況
 そのことを考えるために日本建築学会が出しました『近代建築総覧』(83年)にリストアップされている建物について、現在どれだけ残っているか、どのような状態で残っているかを調べました。
 この『近代建築総覧』は文京区にある近代建築をすべてリストアップしたものではありません。記載されていないものが沢山あります。それには、第1版が出た80年頃は、たとえば看板建築などの評価は今と比べると低かったという事情もあるかと思います。

図2 1997年6月現在での建物の分布状況
 そういった限界はあるのですが、他に適当な資料がございませんので、まずは文京区全体の動向を探るという意味で『近代建築総覧』にのっている建物が、今どれほど残っているのかを報告いたします。
 図1が、記載されている223件の建物を地図にプロットしたものです。
 そして図2が97年6月に調査した時に残っているものです。



文京区の災害

 文京区に残っている近代建築は、関東大震災と第二次世界大戦の空襲による戦災をくぐりぬけてきた建物です。
 おおまかに紹介しますと、関東大震災の時に被災したのは、文京区の南の方、水道から湯島にかけてが中心でした。東京大学の建物も大震災の被害を受けたという話しもあります。
 戦災による被害を受けなかった地域は、目白台、大塚周辺の地域、そして千石、白山、そして大和村がある駒込や本駒込、そして千駄木です。根津、弥生から西片にかけても比較的戦争の被害が少なく、近代建築が残っているところです。このように文京区は比較的近代建築がよく残っているところだと言えると思います。


文京区の文化財

 では文京区に一体どれくらいの指定文化財があるのか、ざっと紹介します。
 国指定のものとしては湯島の岩崎邸、そして旧東京医学校本校、また国指定の特別史跡としては湯島聖堂があります。都指定のものとしては、和敬塾、そして本郷にある求道会館などがあります。また最近創設された登録文化財制度では、東京大学のなかで7件、その他の地区で7件、合計14件が登録されています。


調査の概要

 調査の詳しい内容につきましては蓑田さんと田中さんの方から報告してもらいます。で、ざっと概要だけを最初に申しておきますと223件ありました建物のうち、残存しているものは107件で、無くなったものは116件です。消失してしまった割合は、約52%、半分以上の近代建築がこの15年の間になくなってしまったということです。この15年と申しますのは、『近代建築総覧』が83年ですからバブル以前の時点で、調査がバブルが終わったあとの97年です。詳しい内容については、蓑田さんのほうから説明していただきます。
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